「連帯」概念のトーンをもっと強めて、ここでは「連帯」はありうべき人間関係の最高形態であるという視点を提出しておきます。
いわばフォルティッシモとしての「連帯」概念を。
さて、「愛」は当事者間における片務的な関係でありえますが、「友情」は自立した当事者間における相互的な関係であり、したがってより社会的な性格が強いです。
「連帯」は当事者相互間における複数の相互関係であり、というよりも線的な関係の集合という次元を超出しており、そもそもの成り立ちからして面的な相互関係として存立します。
面的であるということは社会性を含意しています。
そうしたいわば一枚岩の凝集性また結束力をもつことができるのは、連帯が元来、広い意味での何らかの「闘い」を協働して推し進めるなかではじめて芽生えるものだからです。
「闘い」というのはボウルズとギンタスのいう「集団的実践活動(コレクティヴ・プラクティシズ)」をうんと強めた言い方です。
集団的実践活動の達成目標が困難なものであればあるほど、連帯のきずなはより強くより質の高いものになるでしょう。
その意味で、「闘い」においてこそ連帯は最も豊かなかたちで形成されることになります。
「ゆるやかな連帯」なるものは、その点からすると、わざわざ「連帯」というほどのものではなく、せいぜい「協力」とか「助け合い」という程度のものだともいえるでしょう。
愛や友情は二者間でも成り立つけれども、連帯は通常もっと多数の者たちの間で成立するものです。
闘いの相手は自然的なものであることも社会的なものであることもあるでしょうが、いずれにしても協働して闘うなかで場合によっては生命を賭すことも辞さないのです。