世界史は、いま改めて市場経済ないし資本制経済のグローバル化時代に入りつつあります。
「いま改めて」というのは、ソ連や旧東・中欧社会主義国において試みられた非資本制的な経済制度にもとつく社会づくり・国づくりが頓挫して、市場経済ないし資本制経済への回帰現象が大々的にみられるからです。
マルクスとエンゲルスが『共産党宣言』においてするどいタッチで描き出した「ブルジョアジーの生産様式」および「ブルジョア文明」のグローバル化。
これは、ある意味では、それとは異質の生産様式および文明の創出を企てたロシア革命以後のソ連や第二次大戦後の東・中欧諸国における実験期間を間奏曲とするかたちで、21世紀の現在も継続しているとみることができます。
その意味でも、「いま改めて」なのです。
それゆえ、「資本主導型の文明」総体に対するオルタナティヴの追求は、市場経済ないし資本制経済のグローバル化が「いま改めて」進展しようとしている現段階ではアクチュアルな課題設定とはなりえません。
では、いかなる現実的方策がありうるでしょうか。
先に「連帯」という語の用例を引き合いに出した際、論者たちがみな「個人」の概念を前提にして連帯の在り方を構想していることに違和感を呈しておきました。
「個人」・・・。
しかしそれは、ことがらの表層形態に眼を奪われた見方であって、なお深層構造の把握にまでは届いていません。
もとより、「個人」といってもその意味内容はさまざまで、上記論者たちの間でも捉え方には大なり小なり差異があるでしょう。
しかし、無前提に、というよりも無反省に「個人」という語を用いている点で、そもそも本書の立場はそれらとは一線を画されます。